杉田二郎さんと言えば、「戦争を知らない子供たち」、「男どうし」が有名ですが、私にとってのNO1ソングは「題名のない愛の唄」になります。
高校から大学にかけて2回ほど杉田二郎さんのコンサートに行ったのですが、その時にはあまり印象に残っていませんでした。
私がこの曲を素晴らしいと思ったのは、40歳を過ぎてから、お店の有線でかかっていたのを聞いてからです。
1975年発売の4th 「題名のない愛の唄」に収録されています。
全曲 作詞:北山修、作曲:杉田二郎になります。
A面
1.マイ・カントリー
2.男どうし
3.ブルーの毛布とビキニの御婦人
4.曲目「二人の舟」
5.題名のない愛の唄
B面
1.積木
2.真夜中に
3.俺たちゃ日本人
4,おやすみ日本
5,夢うた
北山修さんの歌詞が少し官能的で
この曲の作詞は北山修さんで、
肩から腰へと 流れる体の線に 手をかけて ひきよせた
背中に届いた あなたの細い指が 痛いほど くいこんで
など、全体的にストレートで少し官能的な歌詞になっていているのですが、メロディーラインが素敵で、まったくいやらしさを感じさせない仕上がりになっていると思います。
私が10代後半、この曲に印象が薄かったのは、詩の意味を理解出来ていなかったのが原因かも知れませんね。
カラオケで時々歌うのですが、「2番、3番ちょっとエッチやから」と前ふりをしてから歌っています。
杉田二郎と北山修 ジローズからソロへ
1967年、アマチュアバンド「ジローズ(第1次)」を結成、1968年に解散。
その後、ザ・フォーク・クルセダーズの解散を控えた北山修さんから「京都のフォークのエネルギーを絶やしたくない」と、はしだのりひこさんの新しいバンドへの加入を要請され、「はしだのりひことシューベルツ」を結成、リードギターとボーカルを担当。
1970年には森下次郎さんとともに「ジローズ(第2次)」を結成し、『戦争を知らない子供たち』が大ヒットしました。
1972年からはソロ活動を開始。ソロ作品のヒット曲には『男どうし』、『ANAK (息子)』(1978年)などがあります。
杉田二郎 お気に入りベスト3
西城秀樹さんがカバーしてたんですね。 ☞西城秀樹「題名のない愛の唄」