柏原芳恵 14歳(中学3年生)でデビューしました!
柏原芳恵さんがデビューした1980年は、山口百恵さんが引退をした年で、各芸能事務所が新人発掘に躍起になつていた時期です。
松田聖子さんが抜け出し、2番手、3番手を河合奈保子さん、三原順子さんたちと争っている状態でした。
その中で、憂いを含んだアルトの声質の柏原芳恵さんの歌唱力は、同期アイドルの中でもトップ・クラスでした。
ただ、残念ながら、そのスキルを活かせる楽曲に恵まれなかったのですが、7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が、約38万枚を売上げてブレイクを果たし、一つの方向性を示しました。
そして1982年、ひらがな名義の「よしえ」から、漢字の「芳恵」に改名、ティーン・アイドル路線から、良質な歌をじっくり聴かせるシンガーへ方向転換を図りました。
柏原芳恵 厳選ベスト3
①「春なのに」 現在も卒業ソングの定番です!
春なのに
「春なのに」は、1983年1月11日に発売された12枚目のシングル。
シンガーソングライターの中島みゆきがさんが作詞・作曲を手掛けました。
アルバムの帯コピーは、"ウェットでナイーブな芳恵… 17才の感性が中島みゆきの豊かな音楽センスと溶け合った魅力あふれる最新アルバム"です。
記念にください ボタンをひとつ 青い空に 捨てます
最初に聞いた時は、”せっかくもらったボタンを何故捨てるのか?”と思っていました。
この曲は、先輩との別れへの寂しさ・愛おしさが描かれているんですが、これを機に、彼への叶わぬ想いから卒業し、一歩前へ進もうとする決意なんだと考えるようになりました。
ただ、最後の言葉は「ため息 またひとつ」。微妙な女心ですね。
中島みゆきさんはセルフ・カバーで数々の提供曲を歌い直していますが、この曲だけは完全に柏原芳恵さんの曲になっていますね。
②「ハローグッバイ」 オリコンチャートで初のTOP10入りを
ハローグッバイ
オリジナルは、1975年にアグネス・チャンさんのシングル「冬の日の帰り道」のB面です。
シングル売上も38万枚を超える売上記録となり、柏原のシングルとして最大の売上になったので、よくこの曲を見つけて来たなと思います。
③「花梨」 アイドル路線から脱却した曲です
1982年10月1日に発売された柏原芳恵の11枚目のシングル。
この曲より、ひらがな表記の‘よしえ’から漢字表記の‘芳恵’へと変更しました。
作詞・作曲は谷村新司が担当した、オリコンチャートの最高位は10位、シングル売上は18万枚を記録しました。
ほのかな恋心を抱いた少女の嘆きと諦めがテーマになっています。