歌手デビューは、奇跡のような運命の巡り合わせのようなものです
南沙織さんは琉球放送のテレビ番組「オキコワンワンチャンネル」などでアシスタントのアルバイトをしていて、南さんが写っている写真を番組に出演されていた「ヒデとロザンナ」さんのマネージャーが東京に持ち帰り、それが新人を探していたソニーの関係者の目に留まった事から始まります。
急遽 沖縄から東京へ呼び寄せられ、沖縄が本土へ復帰前の1971年春、パスポートを手にお母さんと2人で上京すると、ソニーの社長と面談を済ませ、すぐさまデビューへ向けたプロジェクトがスタート。
プロジェクト開始からわずか3ヶ月、「17才」でデビューとなります。
ソニー内で芸名を公募したところ「南陽子」が1位だったのですが、作詞を手がけた有馬三恵子さんの「まった!」がかかり、有馬三恵子さんの提案で「沙織」になりました。
トレートの黒髪に小麦色の肌、キラキラとした沖縄の海のイメージがありピッタリの名前ですね。
南沙織さんは私がファンになったはじめてのアイドルで、小学6年生の時、写真の切り抜きを下敷きにはさんでいました。
“シンシア”とは、南沙織さんの愛称で、クリスチャン・ネームです
6枚目のシングル盤「早春の港」を耳にした吉田拓郎さんがこの楽曲に感銘を受け、アンサーソングとして制作したのが、「よしだたくろう&かまやつひろし」名義で発表したシングル・レコード「シンシア」です。
1974年に放送された「ミュージックフェア」では、南沙織さんを挟んで二人が「シンシア」を歌いました。吉田拓郎さんのテレビ出演は、この頃しばらく有りませんでしたが、南との共演が出来るならということで出演をしました。収録時のバック演奏はロックバンド・愛奴で、ドラムはソロ・デビュー前の浜田省吾さんで、現在でも貴重な映像として放送されることがあります。
南沙織 お気に入りソング ベスト3
「17才」
潮風のメロディ
作詞:有馬三恵子、作曲:筒美京平
1971年10月に発売された2枚目のシングルで、レコード売り上げ24万枚を記録しました。
夏の終わりの頃の夕暮れの港を少女が一人で歩きながら、心地よい潮風に吹かれて、終わったばかりの恋を振り返っているという情景が目に浮かびます。
色づく街
作詞:有馬三恵子、作曲:筒美京平
1973年8月に発売された9枚目のシングルで、レコード売り上げ29万枚を記録しました。
秋を感じさせる「色づく街」はアイドル・ポップスの傑作として、デビュー曲「17才」に並ぶ代表作と言われています。
この曲は失恋した女性が、過去に区切りをつけて、さらに前を向いて準備をしている心境を軽快なメロディで歌っています。
南沙織さん自身も思い入れがあるようで、”私の代表曲のひとつ”とコメントしています。
デビュー当時のキラキラした17才の頃から比べ、「色づく街」あたりから大人っぽい雰囲気に変わってきました。