1947年(昭和22年)10月にテイチクから発売された歌謡曲です。
作詞:清水みのる、作曲:利根一郎
作詞した清水みのるさんは、終戦して間もない頃に、東京日日新聞(現在の毎日新聞)に掲載された女性の手記が目にとまりました。
従軍看護婦だった彼女は、奉天から東京に帰ってきましたが、焼け野原で家族もすべてを失くし、「夜の女」として生きるしかないわが身を綴った内容でした。
清水みのるさんは、戦争への激しい怒りや、やるせない気持ちを夜を徹して歌詞にしました。
そして、作曲の利根一郎さんは、上野の地下道や公園で進駐軍を相手に売春をする娼婦や、靴磨きをしている幼い子どもたちの姿を目に焼き付けて作曲しました。
会社はコロムビアから移籍していた菊池章子さんに歌唱を依頼。
彼女は歌の心をよく把握し、戦争の犠牲になった女の無限の哀しみを切々とした感覚で歌い上げました。
完成した時のタイトルは「こんな女に誰がした」でしたが、GHQから「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがつき、タイトルを「星の流れに」に変更して発売となりました。
発売当初レコードは全く売れませんでしたが、1947年4月22日、NHKのラジオ番組「街頭録音」で、有楽町で200人もの夜の女(街娼)を束ねていた「ラク町おとき」の隠し録りインタビューを敢行。
放送中、彼女が「星の流れに」の一節、「こんな女にだれがした」を口ずさんだことが、広く世間で認知されるきっかけになったとされています。
作品のモデルであった娼婦たちは歌詞に共感を覚え、彼女たちの間で歌われることも多くなりました。
当時、新宿の「ムーラン劇場」で風刺ショーが上演されていましたが、この歌が使用されるようになり、じわじわと火が付き、ついには大ヒットとなりました。
また、田村泰次郎原作の小説「肉体の門」が映画化された際の挿入歌として使用され、ヒットの一因を担うこととなりました。
「星の流れに」 カバーした主な歌手
青江三奈
石川さゆり
井手せつ子
研ナオコ
髙橋真梨子
ちあきなおみ
戸川純
藤圭子
美空ひばり
美輪明宏
春日八郎
三橋美智也
八代亜紀
工藤静香
竹越ひろ子
天童よしみ
藤圭子バージョン
原曲が持っているブルースの切なさと「こんな女に誰がした」という怒りを最も感じさせます。当時19歳でした。
ちあきなおみバージョン
語りかけてくる歌唱力は本物で、心を奪われます。
菊池章子バージョン
サバサバした歌い方が、当時の殺伐とした世相をよく表しています。