演歌・昭和歌謡・歌謡曲 お勧めソング!
弘田三枝子 プロフィール
小学生の頃から米軍キャンプで歌いはじめ、1961年14歳で「子供ぢゃないの」でデビュー。
その後、「ヴァケーション」、「すてきな16才」、「砂に消えた涙」などカバー曲のヒットを連発して、“パンチのミコちゃん”と称されました。
1965年には日本人歌手初の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」出演で“ポップスクィーン”の名を欲しいままにしました。
訃報時の追悼コメント
山下達郎
「戦後最高の力量をもつシンガーのひとりの方でございますのに、こんなご時世もあってでしょうかね、メディアにはほとんどのぼりません。ホントに残念なことであります」と追悼するメディアが少ないことを残念がり、『悲しきハート』については、オリジナル歌手のスーザン・シンガーよりも「はるかにすぐれたバージョン。16歳とは思えない素晴らしい歌唱力」と絶賛している。
桑田佳祐
「存在自体がポップ。ビート感満載のポップスで笑顔・ダンスをテレビ画面いっぱいに表現していた。チャーミングでみんなの憧れでとにかくナンバーワンだった。(一連のカバー曲は)明るい未来へ向かうアンセムのようだった」
弘田三枝子 厳選ソング! 代表曲・ヒット曲
「人形の家」 生半可ではない迫力があります
人形の家
1969年7月1日に発売されたシングルです。
累計売上は100万枚を突破しました。
悲恋で、そこからの情念を強く感じる歌詞で、メロディーがそれに拍車をかけています。
弘田三枝子さんの歌唱力がそこに加わることで、「人形の家」の世界観が完成します。
「夢見るシャンソン人形」 フランスのポピュラー音楽です!
夢見るシャンソン人形 弘田三枝子 - トピック
セルジュ・ゲンスブールが作詞作曲したフランスのポピュラー音楽です。
フランス・ギャルが最初に歌い、1965年に第10回ユーロビジョン・ソング・コンテストでグランプリを獲得したのをきっかけに大ヒットし、ヨーロッパだけでなく中南米や日本でも人気になりました。
弘田三枝子さんは1965年8月、シングル「夜の太陽」のB面でカバーしました。
「悲しきハート」
悲しきハート
1963年7月に発売された13枚目のシングルです。
スーザン・シンガー「悲しきハート」のカバー曲です。