ちあきなおみ「喝采」、「黄昏のビギン」、「矢切の渡し」他 厳選!お気に入りソング!

昭和歌謡・演歌・歌謡曲 お勧めソング!

ちあきなおみ プロフィール

生年月日:1947年9月17日、出身地:東京都

 

芸能好きな母親の影響で4歳からタップダンスを習い始め、5歳の時に日劇のステージで初舞台を踏みます。その後、米軍キャンプを廻りながら歌と踊りのレッスンに励み、13歳で本格的な歌手活動を開始。

 

コロムビアのオーディションをきっかけに作曲家・鈴木淳さんに師事し、1969年、「雨に濡れた慕情」で念願のレコードデビューを果たします。

 

1970年には「四つのお願い」で「NHK紅白歌合戦」に初出場。

 

1972年、「喝采」で「日本レコード大賞」を受賞。その後もヒット曲を次々と発表し歌手としての地位を固めていきますが、1992年に夫の郷鍈治さんと死別して以降、一切の芸能活動をすべて休止し、事実上の引退となりました。


ちあきなおみ 厳選ソング! 代表曲・ヒット曲

「喝采」 1972年レコード大賞受賞曲です

喝采 high_note Music Lounge

1972年9月発売の13枚目のシングルです。

作詞:吉田旺、作曲:中村泰士

 

女性歌手のもとに突然大切な人の訃報が届き、心に傷を負った彼女はそれでも恋の歌を唄いつづけるという歌詞になっています。


「喝采」の舞台

発売当時はちあきの実体験を元にして作られた「私小説歌謡」として売り出された。ちあきがデビュー前から兄の様に慕っていた若手役者が鴨方町(岡山県)(現在の浅口市鴨方町)に住んでおり、亡くなったという話を詞にしたということだが、実際には作詞をした吉田旺はちあきのエピソードを知らずにこの詞を書いていた。小倉駅が舞台で若松市(現北九州市若松区)出身の吉田が東京へ行く思い出を書いており、歌詞が出来上がってから、ちあきの体験と偶然似ていたため、「実体験」とすることでプロモーションに活かすという戦略をとったといわれている。

 

ちあき本人は上記の通りの自身の経験と偶然似ていた歌詞から、「私この歌は歌いたくない…」とマネージャーに言ったという[要出典]。その際、マネージャーは作詞者の吉田に対して「ちょっと辛い経験があって、それを思い出したようで」と言った。

ちあきなおみ - Wikipediaより

「夜間飛行」 失恋旅行をする女の心情を描いた曲です

夜間飛行

1973年6月発売の15枚目のシングルです。

作詞:吉田旺、作曲:中村泰士

 

別れても強く生きていこうとする想いの中、未練も感じられ、複雑な気持ちを歌詞にしています。

 

曲間にはフランス語の機内アナウンスが流れ、オルリー空港の名前が登場します。

 

「喝采」、「劇場」、「夜間飛行」の3作品は当時「ドラマチック歌謡」と呼ばれました。


「黄昏のビギン」 幻想の世界に浸ってしまうような曲です

黄昏のビギン

1991年6月発売の33枚目のシングルです。

作詞:永六輔・中村八大、作曲:中村八大

 

1959年に水原弘が発表した曲のカバーになります。

 

幻想的かつ叙情的な世界観をちあきなおみさんがハスキーで切ない歌声で歌唱します。 


黄昏のビギン 水原 弘

 

髙橋真梨子 YouTubeチャンネル

夏川りみ


「四つのお願い」 喝采に次ぐ2番目のヒット曲です

四つのお願い

1970年4月発売の4枚目のシングルです。

作詞:白鳥朝詠、作曲:鈴木淳

 

初めてのオリコントップ10入りを果たした楽曲で、レコード売上では、1972年の「喝采」に次ぐ2番目のヒット作となっています。


ちあきなおみさんは、後に、 

「雨に濡れた慕情」はこういうデビュー曲でよかったわと思ってたんですけど、それが『四つのお願い』で、ああ、こりゃダメだ、この曲で私も終わりだと思った。私はどうも根が暗いせいか、ああいう明るい歌はダメなんですよ。

と語っています。


「矢切の渡し」 江戸川にあった渡し船と船着場を舞台にした曲です

矢切の渡し

矢切の渡し

1976年10月発売の24枚目シングル「酒場川」のB面曲です。

作詞:石本美由起曲、作曲:船村徹

 

当初、「矢切の渡し」はA面として発売する事になっていましたが、ちあきさんの強い要望によりB面収録となりました。

 

その後、一度廃版になったのですが、大衆演劇のスター梅沢冨美男の舞踊曲目として使用されてことで話題となりました。

 

そこで、1982年10月にA面としたシングルが改めて発売され、翌1983年には細川たかしさんのシングルが発売されました。

 

ちあき盤は翌年に細川盤が日本コロムビアから発売された際に生産中止となっています。(ちあきさんは1983年当時、ビクターに移籍)


本作の作曲を手がけた船村徹さんは、

ちあきなおみに提供した楽曲が細川たかしの歌唱によってヒットしたことについて、「ちあきの歌は(楽曲のイメージ通りの)手漕ぎの櫓で、細川の歌はモーター付の船だ。」という評価を下している。また、ちあきの歌は「鑑賞用」で細部まで聴かせる歌なのに対して、細川の歌は一本調子で楽曲の難しい部分を省略した歌い方でありカラオケなどで誰でも歌えると世間に思わせてしまっている。

と発言しています。

細川たかし 公式YouTubeチャンネル

瀬川瑛子

美空ひばり 公式YouTubeチャンネル

 


「紅とんぼ」 最後に紅白歌合戦に出場した時の曲です

赤とんぼ Fuji Music ch

1988年10月発売のシングルです。

作詞:吉田旺/作曲:船村徹

 

新宿駅裏にある「紅とんぼ」という飲み屋さんを閉じて、田舎に帰るという歌詞が哀愁を感じさせる名曲です。


「x+y=love」 アイドル歌手のようなタイトルです

 x+y=love

1970年8月発売のシングルです。

作詞:白鳥朝詠、作曲:鈴木淳

 

「お色気アイドル路線」で活躍していた頃のシングルで、累計で約22万枚を売り上げるヒット曲になりました。

 

情念を内に秘めた歌唱法とは異なった、軽やかで多幸感に満ちた歌声です。


本楽曲が完成した際、作詞の白鳥朝詠が旅先の温泉宿から「(鈴木)淳さん、面白い詞が出来たから、曲を付けてみてよ。」と、電話で作曲の鈴木淳に「メモ」を取らせた。歌詞を見た鈴木は「何じゃこれは数学の方程式じゃない」と言ったところ、白鳥は電話の向こうで笑っていたという。

ちあきなおみ - Wikipediaより

「ねえあんた」 ちあきなおみにしか歌えないという声が多い楽曲です。

ねえあんた

作詞:松原史朗、作曲:森田公一

 

1974年10月、ちあきなおみさんの最初で最後のリサイタルが、東京・中野サンプラザホールで二日間にわたって開催されました。

「ねえあんた」は、このリサイタルのために書き下ろされた楽曲です。


「花吹雪」 少しハスキーな歌声が最高です

花吹雪

1975年2月発売の19枚目のシングルです。

作詞:吉田旺、作曲:都倉俊一

 

悲しくもどこか温かみが感じられる別れの歌です。