藤圭子「京都ブルース」他厳選!お気に入りソング

昭和歌謡・演歌・歌謡曲 お勧めソング!

藤圭子 プロフィール

生年月日:1951年7月5日、死没: 2013年8月22日、出身地:北海道旭川市

 

幼い頃から浪曲歌手の両親と旅回りの生活を送り、自らも歌っていました。

勉強好きで成績優秀でしたが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念。

 

17歳の時に、岩見沢で行われた歌謡大会のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり上京。作詞家の石坂まさをさんと知り合い、自宅に住み込みでレッスンを受けます。

 

1969年9月、RCAレコードより「新宿の女」でデビューします。

 

1960年代から1970年代にかけて、夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な楽曲を、独特のドスの効いたハスキーボイスで、伸びやかかつ深々と歌い上げ、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡しました。


藤圭子 厳選ソング! 代表曲・ヒット曲

小説家、五木寛之さんは、藤圭子さんについて、1970年のデビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい。

これは「演歌」でも「艶歌」でもなく、間違いなく「怨歌」だと感じた、と語っています。

「京都ブルース」

京都ブルース Fuji Music ch

1974年4月発売の19枚目のシングルです。

作詞:なかにし礼、作曲:馬飼野康二

わたしにとっては「京都ブルース」がNO1ソングです。


「京都から博多まで」

京都から博多まで

1972年1月発売の11枚目のシングルです。

生年月日:阿久悠、作曲:猪俣公章

 

男性を追って京都から博多へ向けて、山陽本線を走る列車に乗った女性の心情と風景を描いた歌詞となっています。

 


「圭子の夢は夜ひらく」 ドスの利いたハスキーボイスが魅力的です

圭子の夢は夜ひらく Fuji Music ch

1970年4月発売の3枚目のシングルです。

作詞:石坂まさを、作曲:曽根幸明

 

悲しげな歌声と大人っぽい曲調に心を奪われます。


「新宿の女」 新宿の盛り場を舞台とした、ご当地ソングのひとつです

新宿の女 Fuji Music ch

1969年9月発売のデビューシングルです。

作詞:石坂まさを・みずの稔、作曲:石坂まさを

 

当時のフレーズは「演歌の星を背負った宿命の少女!!」でした。

 

”バカだな バカだな 騙されちゃって”というフレーズが、全共闘世代だった若者の共感を呼びました。


「女のブルース」 さらりとしたなかに漂う哀愁を感じます

女のブルース Fuji Music ch

1970年2月5発売の2枚目のシングルです。

作詞:石坂まさを、作曲:猪俣公章

猪俣公章は、作曲を依頼した石坂まさをに「四行詩にして、上半分を同じフレーズで統一してほしい」と注文をつけた。結果、四行詩の上半分、つまり一番は「女ですもの」、二番は「あなたひとりに」が四つ並び、下半分の詞だけ変わるというきわめて単純な構成のようにみえて、実は凝っていて、デビュー作『新宿の女』の重さ、暗さに比べて、これはさらりとしたなかに漂う哀愁をもたらした。 

藤圭子 - Wikipediaより


「命預けます」

命預けます Fuji Music ch

1970年7月発売4枚目のシングルです。

作詞・作曲:石坂まさを

 

夜の世界を舞台とした楽曲を持ち前のハスキーボイスで力強く歌っています。


タイトル曲のエピソード

藤圭子の師、石坂まさをと飲みにいったとき、クラブのクロークが、「貴重品はお預けください」という。「貴重品なんかないよ。なんなら命でも預けようか」といってから、アレッと石坂のほうを振り返ると、彼もニッコリ。「いまの台詞いいねえ。いただき」ふたりは藤圭子の新作をつくろうとしていたところで、「タイトルは『命預けます』にしちゃえ」と、飲みながら石坂は作詞、ぼくはメロディーをつくり、リリースしたのが大ヒット曲になったが、レコードを見ると作詞作曲・石坂まさを、編曲・曽根幸明となっている。 ヒットしたあとで石坂に、「あれは俺が作曲したつもりなんだけどなァ」というと、「いやいや、そうじゃないよ。俺が曲つくって、あんたがハモってただけだよ」: ほんとかいなと思うが、したたかに酔っぱらっていたから、記憶が定かではない。まあ、印税のほうは作曲なみにはいってくるのだから損失はないからいいようなもんだけど……—曽根幸明

藤圭子 - Wikipediaより

「怨み節」

恨み節 藤圭子 カバー

恨み節 梶芽衣子

1972年12月発売の梶芽衣子さん5枚目のシングルです。

作詞:伊藤俊也、作曲:菊地俊輔作曲

 

梶芽衣子さん主演「女囚さそり 701号怨み節」の主題歌です。