美空ひばり「愛燦燦」他 厳選!お気に入りソング

演歌・昭和歌謡・歌謡曲 お勧めソング!

美空ひばり プロフィール

生年月日:昭和12年5月29日

出身地:神奈川県横浜市磯子区

 

終戦直後の1946年に9歳でデビュー。

 

以後、「悲しき口笛」、「東京キッド」、「リンゴ追分」、「港町十三番地」、「柔」、「悲しい酒」、「おまえに惚れた」、「愛燦燦(あいさんさん)」、「みだれ髪」、「川の流れのように」など生涯で517曲ものオリジナル曲を発表。40有余年にわたって日本歌謡界の第一線で活躍しました。

 

歌手としてだけでなく、舞台や映画にも出演。1955年の映画「ジャンケン娘」では江利チエミ、雪村いづみと共演し、「三人娘」と呼ばれました。


美空ひばり 厳選ソング! 代表曲・ヒット曲

「愛燦燦」 優しさあふれる歌声が染み入る名曲です

愛燦燦 美空ひばり公式YouTubeチャンネル

1986年5月発売の299枚目のシングルです。

作詞・作曲:小椋佳、編曲:若草恵

 

「家族愛」をテーマに製作されました。 

 

温かいメロディーで、人生の素晴らしさ、生きていることの喜び、幸せさを感じさせる歌詞です。


「川の流れのように」 人生に悩んでいる人に勇気を与えてくれる曲です

川の流れのように 美空ひばり公式YouTubeチャンネル

1989年1月発売の366枚目のシングルです。

作詞:秋元康(作詞)、作曲:見岳章

 

当時、秋元さんはニューヨークに在住していて、イースト川をイメージして作詞をしました。

 

ひばりさんは自分の人生と楽曲を重ねて「1滴の雨が木の根を伝い、せせらぎが小川になる。水の流れがあっち、こっちにぶつかりながらだんだん大きくなる。やがて大河になり、ゆっくりと海にたどり着く」と語っています。


「みだれ髪」 切ない女性の情感を歌いあげています

みだれ髪 美空ひばり公式YouTubeチャンネル

1987年12月発売の302枚目のシングルです。

作詞:星野哲郎、作曲:船村徹

 

「春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋」というくだりをひばりさん自身が気に入ってました。

 

ひばりさんの裏声が哀愁を帯びたこの歌にピッタリです。 

 

 


「人生一路」 まっすぐに進むことを歌った前向きな歌詞です

人生一路 美空ひばり公式YouTubeチャンネル

1970年1月発売の245枚目のシングルです。

作詞:石本美由起 作曲:かとう哲也

 

ひばりさんがライブやテレビ番組などで好んで歌った曲で、代表曲の一つとして世間大衆に認知されています。

 

ポップでノリがよく明るい気分にさせてくれます。


「柔」

柔 美空ひばり公式YouTubeチャンネル

1964年11月発売の211枚目のシングルです。

作詞:関沢新一、作曲:古賀政男

 

東京オリンピックではじめて柔道が正式競技に採用されたこともあり、翌1965年にかけて爆発的にヒットしました。


「悲しい酒」 切なく悲しいメロディーと歌詞です

悲しい酒

1966年6月発売の225枚目のシングルです。

作詞:石本美由起/作曲:古賀政男

 

ひばりさんはこの歌を歌うとき、必ず涙をこぼしますが、「歌いながら、つらい思い出ばかりの小さいころに戻るの。すると、ひとりでに涙が流れてくるのとと、その涙のわけを語っています。


「港町十三番地 」

港町十三番地 

1957年3月発売のシングルです。

作詞:石本美由起、作曲:上原げんと

 

歌詞の中の「銀杏並木の敷石道」は山下公園、「マドロス酒場」は馬車道あたりの酒場がモチーフになっていると言われています。。


「リンゴ追分」

リンゴ追分 美空ひばり公式YouTubeチャンネル

1952年5月発売の29枚目のシングルです。

作詞:小沢不二夫、作曲:米山正夫

 

「追分」には道の二つに分かれる所、 分岐点という意味があります。

 

母親が亡くなった悲しみと、故郷のリンゴの花びらが無常の雨で散ったことを重ねて、”わかれ”の切ない心情を描いています。


「悲しき口笛」

悲しき口笛 美空ひばり公式YouTubeチャンネル

1949年9月発売の2枚目のシングルです。

作詞:藤浦洸、作曲:万城目正

 

ひばりさんにとって初めてのヒット曲になります。

 

初の主演映画「悲しき口笛」の主題歌で、ひばりさんの故郷である横浜市が舞台になっています。


「お祭りマンボ」

お祭りマンボ 美空ひばり公式YouTubeチャンネル

1952年8月発売の32枚目のシングルです。

作詞・作曲:原六朗

 

日本のメロディーや雰囲気をマンボのリズムで演奏しています。

 

全体的にアップテンポな曲ですが、ラストの部分でスローに変わります。祭りの大混乱の中「家を焼かれたおじさん」、「ヘソクリ盗られたおばさん」の悲哀を描きつつも、最後は「(いくら泣いても)あとの祭りよ」のオチで締め括っています。