昭和歌謡・演歌・歌謡曲 お勧めソング!
越路吹雪 プロフィール
生年月日:1924年8月18日、出身地:東京都千代田区麹町
宝塚歌劇団出身で、宝塚時代は男役で活躍します。
レコード・デビューは1949年。
「愛の讃歌」、「サン・トワ・マミー」などのシャンソンを中心に、
独特のムードとドラマティックな歌唱で歌手として一時代を築きます。
ミュージカル「モルガンお雪」をはじめとする舞台、さらに映画女優としても活躍。
岩谷時子
宝塚歌劇団出版部に入社して間もない頃、劇団員だった越路吹雪さんに「一緒に私のサインを考えて」と声をかけられたことで仲良くなります。
その後、2人は意気投合し、越路さんが宝塚歌劇団を退団して歌手になりたいと相談したとき、岩谷さんも退職を決意します。
小林一三さんが一人では不安だからと一緒に上京し、東宝文芸部に所属し、付き人を務めす。その後、自らが作詞家として成功しても自分の本業を聞かれるたび「越路吹雪のマネージャー」と答えています。
作詞家として、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」、岸洋子「夜明けのうた」、弘田三枝子、中尾ミエ「夢見るシャンソン人形」、沢たまき「ベッドで煙草を吸わないで」、園まり「逢いたくて逢いたくて」、加山雄三「君といつまでも」、佐良直美「いいじゃないの幸せならば」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」など数多くのヒット曲を生み出しました。
越路吹雪 厳選ソング! 代表曲・ヒット曲
「ラスト・ダンスは私に」
ラスト・ダンスは私に KoshijiFubukiVEVO
1960年発売のアメリカのコーラス・グループドリフターズの楽曲です
訳詞:岩谷時子、作曲:モルト・シューマン
日本でも多くのミュージシャンがカバーをしていますが、岩谷時子さんの訳詞により越路吹雪さんが歌ったものが有名です。
原詞は、男性が女性に話しかける歌詞になっていますが、岩谷時子さんの訳詞では女性の目線で描かれ、女性が男性に話しかける歌詞になっています。
越路吹雪 厳選!お気に入りソング
「愛の讃歌」
愛の讃歌 KoshijiFubukiVEVO
1950年発売のフランスのシャンソン歌手エディット・ピアフの楽曲です。
訳詞:岩谷時子、作曲:マルグリット・モノー
原詞は「愛のためなら宝物を盗んだり自分の国や友達を見捨てることも厭わない」という背徳的な内容ですが、岩谷さんが、甘い歌詞で日本人向けに訳したことで、結婚披露宴などでも歌われるほど、広く親しまれる曲になりました。
ピアフ、「愛の讃歌」との関わり
春、日本人の海外渡航が自由化されていない時代に越路は初めてフランス・パリへ渡る。そこでシャンソン歌手のエディット・ピアフのステージを生で聴いた越路は大きな衝撃を受け、当時の日記には「エディット・ピアフを初めて聴く。オーケストラ、ジェスチャー、アレンジの素晴らしさに私は悲しい。ピアフを二度聴く。語ることなし。私は悲しい。夜、一人泣く。悲しい、寂しい、私には何もない。私は負けた。泣く、初めてのパリで。」と書き残されている。ピアフは越路の代表曲『愛の讃歌』のオリジナル歌手でもあり、生涯にわたって越路にとってシャンソン歌手としての大きな目標になった。なおこの時の越路の3ヶ月のパリ生活を世話したのは、当時パリに滞在していた錚々たる日本の文化人達であった。
Hymne à l'amour 〜愛のアンセム〜
2010年9月28日に発売された宇多田ヒカルさんの楽曲です。
宇多田さんはフランス語と本人訳による日本語を混ぜた歌詞でカバーしています。
「ろくでなし」
ろくでなし
1964年発売のベルギーの歌手サルヴァトール・アダモの楽曲です。
訳詞:岩谷時子、作曲者:サルヴァトール・アダモ
越路さんが歌唱するにあたって、主人公の性別を女性に変更した以外は、多くの箇所で元の歌詞の意味をそのまま踏襲しています。
タイトルはそのまま訳すと「不良少年」という意味になりますが、日本では「ろくでなし」で広く親しまれています。
「サン・トワ・マミー」
サン・トワ・マミー
1962年発売のベルギーの歌手サルヴァトール・アダモの楽曲です。
訳詞:岩谷時子、作曲者:サルヴァトール・アダモ
越路吹雪さんが歌唱するにあたって、大人の女性の恋の歌になっていて、アダモさん自身の少年時代の失恋を描いた原詞からは、かなり意訳したものになっています。