演歌・昭和歌謡・歌謡曲 男性ミュージシャン
美川憲一 プロフィール
生年月日:1946年5月15日、出身地:長野県諏訪市
1965年に青春歌謡「だけど だけど だけど」でデビュー。
翌年発表した「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚の大ヒット。映画化もされて映画初出演を果たします。
これをきっかけに演歌路線にシフト、1968年「釧路の女」が大ヒットし、「NHK紅白歌合戦」に初出場。「みれん町」、「大阪の夜」、「おんなの朝」といったムード歌謡というジャンルで1つの時代を作ります。
出演の度に、豪華な衣装が話題となり、独特のキャラクターや派手なファッションで注目され、タレントとしても活躍します。
美川憲一 厳選ソング! 代表曲・ヒット曲
「柳ヶ瀬ブルース」 低音で始まるAメロが魅力です
柳ヶ瀬ブルース Fuji Music ch
1966年4月発売の3枚目のシングルです。
作詞・作曲:宇佐英雄
作詞・作曲をした宇佐英雄さんは岐阜市の歓楽街「柳ヶ瀬」で流しでこの曲を歌っていました。その自費製作をしたフィルム・レコードを入手した日本クラウンのディレクター長田幸治さんが、美川憲一さんにはデビュー当初の青春歌謡は向いていないと判断して路線変更するために3枚目のシングルとして歌わせたもので、美川憲一さんが演歌・ムード歌謡路線にかわるきっかけになった曲です。
「夜の歌謡シリーズ」の第1作として映画化されました。
映画「柳ヶ瀬ブルース」(1967年 東映)
監督:村山新治 主演:梅宮辰夫、野川由美子、城野ゆき、大原麗子、伴淳三郎
ストーリー
女にもて、小悪党ぶっているバーテンの次郎は、カウンターから秋波を送ってくる雅美に早くも食指を動かしていた。そんなところへ、彼の情婦みどりが岐阜へ去るため、別れの挨拶に来たが次郎は冷たかった。雅美は社長権藤の二号だった。その夜、雅美のマンションに泊った次郎だったが権藤に見つけられ、さんざん痛い目にあわされ、ほうほうの態で逃げ出した。東京にいづらくなった彼は、かつていい仲だったレストランのマダム玉子から金を借り、故郷の岐阜柳ケ瀬に向った。
「さそり座の女」
さそり座の女
1972年12月発売の25枚目のシングルです。
作詞:斎藤律子、作曲:中川博之
3番目の歌詞「紅茶が冷めるわさあどうぞ それには毒など入れないわ」は、当初「高価なワインをさあどうぞ それには毒など入れないわ」という歌詞でしたが、歌詞があまりに過激すぎるということで、中川博之さんが歌詞を書き替えました。
「おんなの朝」
おんなの朝
1970年12月発売の18枚目のシングルです。
作詞:西沢爽、作曲:米山正夫
約30万枚を売り上げた代表曲で、1971年に「第4回日本作詩大賞」を受賞しますが「歌詞が過激過ぎる」と言われ、「NHK紅白歌合戦」での歌唱は叶いませんでした。
「釧路の夜」
釧路の夜
1968年7月発売一の11作目のシングルです。
作詞・作曲:宇佐英雄
この曲をモチーフに、1968年に栗塚旭さん主演で同名タイトルの映画が製作・公開されました。この映画には美川さん自身も歌手役で出演しています。
「新潟ブルース」
新潟ブルース
1967年8月発売の7枚目のシングルです。
作詞:山岸一二三、補作詞:水沢圭吾、作曲:山岸英樹、補作曲:中川博之
この曲は黒沢明とロス・プリモスとの競作になっています。
「柳ヶ瀬ブルース」、「釧路の夜」と並ぶ、美川憲一さんのご当地ソングです。