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梓みちよ「二人でお酒を」他 厳選!お気に入りソング

演歌・昭和歌謡・歌謡曲 お勧めソング!

梓みちよ プロフィール

生年月日:1943年6月4日、出身地:福岡県福岡市

 

宝塚音楽学校在学中にオーディションに合格。“ボサノバ娘”のキャッチフレーズで1962年に「ボッサ・ノバでキッス」でデビュー。

 

NHK「夢であいましょう」で「こんにちは赤ちゃん」を歌い大ヒット、第5回日本レコード大賞を受賞。

 

NHK「紅白歌合戦」は1969年まで7年連続出場を果たし、1964年には昭和天皇の前で御前歌唱を務めます。

 

その後、「二人でお酒を」、「メランコリー」などのヒットを放つほか、タンゴやシャンソンにも芸域を広め、ドラマや「新婚さんいらっしゃい!」といったバラエティ番組でも活躍します。


梓みちよ 厳選ソング! 代表曲・ヒット曲

「メランコリー」

メランコリー

1976年9月発売の44枚目のシングルです。

作詞:喜多条忠、作曲:吉田拓郎

 

吉田拓郎さんから、「お前には歌謡曲の作詞はムリだろ?」と挑発され、喜多条さんが奮起して作詞をしました。

 

メランコリーとは気がふさぐこと、憂鬱という意味で、いくつもの恋愛を経験してきた女性の、憂鬱な気分を描いた曲です。


レコーディングでは、吉田拓郎が梓みちよに、「アナタは歌がうまいから困るんです。僕としては、もっと下手に、そう、思い切って下手クソにやってほしいんです」と言うと、梓は目一杯下手クソに歌って一言、「これでいいわけ。フン、変なの、アンタたちの音楽」といったと言われる。

メランコリー (梓みちよの曲) - Wikipediaより

「二人でお酒を」

 二人でお酒を 梓みちよ - トピック

1974年3月発売の39枚目のシングルです。

作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃

 

テレビ番組やステージでは、1番の歌詞を歌い終わった後、床に胡坐をかきながら歌うのが通例でした。

 

「別れましょうね」といいながら、淋しくなったら一緒に酒を飲みましょうという、二人の不思議な関係を歌っています。


1963年に発表した「こんにちは赤ちゃん」の大ヒットで人気歌手になったものの、それから11年過ぎ、「いつになったらこの歌から抜けられるのか」と思うようになり、「自分を解放してくれる歌」を望んでいた。そこで、梓の所属事務所は、山上と平尾に「梓を脱皮させる」新しい曲作りを託す。作詞の山上路夫は数日間考え続けたが、結局「酒好きの梓らしい、お酒を飲む女性像が一番」と考えた。演歌歌手ではない梓に酒の歌を歌わせることはためらいもあったものの「新局面を開くには冒険も必要」と割り切った。梓自身も「酒好きの自分にぴったりでうれしかった」とすぐに気に入った。

二人でお酒を - Wikipediaより

「こんにちは赤ちゃん」

こんにちは赤ちゃん 梓みちよ - トピック

 

1963年11月発売の7枚目のシングルです。 作詞:永六輔、作曲:中村八大

 

作曲者である中村八大さんに第一子が誕生した際に永六輔さんが作詞しました。原曲はパパの心情の歌詞でしたが、歌手が梓さんであるため、ママの心情に置き換えられました。

 

人気番組「夢で会いましょう」で紹介され、大ヒットしました。

 

 

東宝と日活で映画化されました。

映画「こんにちは赤ちゃん」(東宝)1964年

キャスト

会田道代:梓みちよ、田部康彦:田辺靖雄、四方山敬介:小林桂樹、立川藤子:八千草薫 他

四方山敬介は大学教授だが、妻に先立たれ、八カ月の赤ちゃんをかかえて四苦八苦。遂に教え子の女子大生会田道代にお守を頼んだ。公然と学校をさぼってもいいと道代は大喜びだが、いつも八カ月の赤ちゃんがついているのでは、ボーイフレンドの康彦君とも遊べず、少し憂欝だ。学校の事務をしている立川藤子は四方山教授に好意をもって心配していた。

こんにちは赤ちゃん(1964 松林宗恵) : 作品情報 - 映画.comより

「ヘイ・ポーラ」

ヘイ・ポーラ 梓みちよ - トピック

 

1963年6月発売の田辺靖雄さんとのデュエット曲です。作詞・作曲:レイ・ヒルデブランド、訳詞:みナみカズみ

 

1962年にアメリカで発売された”ポールとポーラ”のヒット曲をカバー、優しくやりとりをする恋の曲です。 

「渚のセニョリーナ」

渚のセニョリーナ 梓みちよ - トピック

 

1967年8月発売の25枚目のシングルです。 作詞:尾中美千絵、作曲:平尾昌晃 

 

フォー・メイツのコーラスも入った和ラテン・ムード歌謡で、一人の女性を踊りに誘っている曲です。