演歌・昭和歌謡・歌謡曲 お勧めソング
北原ミレイ プロフィール
生年月日:1948年7月18日、出身地:愛知県豊川市
美空ひばりさんに憧れて16歳で佐伯一郎さんに師事します。
高校卒業後上京し、ナイトクラブで唄う姿を水原弘さんが注目、歌声を作詞家の阿久悠さんに見出され、1970年に「ざんげの値打もない」で衝撃のデビューを飾ります。
そして次作「棄てるものがあるうちはいい」、「何も死ぬことはないだろう」の連続ヒットにより歌謡界において確固たる地位を築きます。
1975年、代表曲となる「石狩挽歌」を発表。
その後も「春」、そして山崎ハコさんとの異色のコンビによる「白い花」など、社会性の強い題材をテーマに楽曲をリリースしヒットさせます。
北原ミレイ 厳選ソング! 代表曲・ヒット曲
「石狩挽歌」
石狩挽歌 北原ミレイ - トピック
1975年6月発売の8枚目のシングルです。
作詞:なかにし礼、作曲:浜圭介
「海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると~」という歌い出しで始まるこの曲は、石狩の海の鰊漁を舞台に、大きな夢を見てそれが泡と消えた男と、そんな男と人生をともにする女の情念が込められた悲哀の歌です。
石狩挽歌の舞台は、かつてニシン漁が盛んだった小樽市周辺です。なかにし礼さん自身も、旧小樽市立手宮西小学校に通うなど、少年時代を過ごした場所で、幼少時の体験や、兄に対する複雑な気持ち、人生に対する想いが織り込まれています。
「ざんげの値打ちもない」
ざんげの値打ちもない Fuji Music ch
1970年10月発売のデビューシングルです。
作詞:阿久悠、作曲:村井邦彦
当初「ざんげの値打ちもない」は5番まで歌詞があり、レコーディングまで済ませましたが、4番の歌詞がカットされて発表されました。
その理由として、リアル過ぎて暗すぎること。もうひとつは、当時の歌謡曲はテレビ向けに3分以内で終わるようにつくられたものが多く4番まで歌うとかなり長くなるから などが考えられます。
幻の4番の歌詞は、映画「ずべ公番長 ざんげの値打もない」の中で歌われています。
あれは何月 風の夜 とうに二十歳も過ぎた頃
鉄の格子の空を見て 月の姿がさみしくて
愛というのじゃないけれど 私は誰かがほしかった
映画「ずべ公番長 ざんげの値打もない」(東映)1971年
キャスト
大信田礼子、橘ますみ、賀川雪絵、北原ミレイ、左とん平、金子信雄、渡瀬恒彦
♪あれは二月の寒い夜、やっと十四になった頃…北原ミレイのヒット演歌にのせて、真っ赤なマキシーコートで殴り込むコスプレが大好評の「ずべ公番長」シリーズ第4弾。舞台は再び新宿。細いナイフを光らせて、ホットパンツで啖呵を切る。新宿に帰ってきたハマぐれおリカ・大信田礼子を中心に、やさぐれずべ公五人衆の怒りと悲しみを盛り場新宿に叩きつける。
「白い花」
白い花 北原ミレイ - トピック
1976年12月発売の11枚目のシングルです。 作詞・作曲:山崎ハコ