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フランク永井「おまえに」他 厳選!お気に入りソング

演歌・昭和歌謡(男性) お勧めソング!

フランク永井 プロフィール

生年月日:1932年3月18日、出身地:宮城県志田郡松山町

 

16歳で進駐軍のトラックの運転手になりますが交通事故を機に退職、のど自慢大会で賞金を稼いでいたところをスカウトされ、1955年ビクターからデビュー。

 

ジャズが得意でしたがヒットに恵まれず、先輩であるディック・ミネさんの勧めや、作曲家・吉田正さんとの出会いを期に歌謡曲に転向。

 

1957年、有楽町そごうキャンペーンソングであった「有楽町で逢いましょう」が空前のヒット、さらに「東京午前三時」、「夜霧の第二国道」も相乗ヒットとなり、一躍トップスターになります。

 

自らが見出した松尾和子さんと共に歌った「東京ナイト・クラブ」は、デュエットソングの定番として2000年代においても歌い継がれています。


フランク永井 厳選! 代表曲・ヒット曲

「有楽町で逢いましょう」

有楽町で逢いましょう Fuji Music ch

1957年7月発売のシングルです。

作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正

 

関西が拠点だった「そごう」が東京進出をする際に、出店地候補として挙げられたのが「有楽町」でした。

 

当時の有楽町は、戦後の闇市が徐々に消えて、大手新聞社や宝塚劇場、皇居前広場にも近いという事で若いカップルのデートコースでもあり、さらに人通りは増え続けます。

 

「有楽町そごう」が開店する際の宣伝のキャッチフレーズが「あなたと私の合言葉。有楽町で逢いましょう」で、キャンペーンの成功により、「有楽町で逢いましょう」というフレーズは流行語となり、有楽町の認知度はさらに上昇します。

 

そして、佐伯孝夫さんは、企画段階で、「有楽町で逢いましょう」というフレーズにいち早く反応し、吉田正氏さん作曲のもと、「有楽町で逢いましょう」という曲を完成させ、吉田正さんの強い推薦によってフランク永井さんがレコーディングすることになります。


映画「有楽町で逢いましょう」 

出演:京 マチ子 川口 浩 菅原謙二 野添ひとみ 他 

有楽町で逢い、道頓堀で恋を知る!

東京、大阪を舞台に展開する二組の男女によるラブストーリー!

フランク永井の同名ヒット曲が主題歌の、歌謡映画の代表作!

 

フランス帰りの新進デザイナー小柳亜矢は、パリ仕込みの奇抜なデザインで大阪の女性をあっと言わせた。ファッションショーを大成功で終えた彼女は、その夜の列車で東京に向った。興奮冷めやらぬ亜矢は、隣に乗り合わせたスポーツで鍛えあげた逞しい体の建築技師・篠原練太郎の足を踏んだことにも気がつかなかった。亜矢はふと彼の座席におかれた週刊誌に自分の写真が載っているのを見た。その瞬間、彼はその週刊誌をまるめて、駅弁をばくつきだした。そんな二人をのせて列車は一路東京へ。


「おまえに」

おまえに Fuji Music ch

1972年10月、1977年3月発売のシングルです。

作詞:岩谷時子 作曲:吉田正

 

作曲家・吉田正さんが、自らの人生を陰で支えた夫人に対する感謝を込めて作られた作品で、親交のある岩谷時子さんが同夫妻の仲睦まじさをイメージして作詞した、と言われています。

 

発売当初はあまり注目されませんでしたが、恩師である吉田さんの本曲に対する強い思いから、紅白歌合戦などで歌い続け、さらに有線放送の普及やカラオケブームなどで全国に広まったこともあり、ロングヒットになります。


「君恋し」

君恋し フランク永井 - トピック

1961年発売のカバーシングルです。

 

第3回日本レコード大賞グランプリに輝き代表曲の一つになります。

 

二村定一さんのオリジナル盤とは雰囲気が異なり、寺岡真三さんによってムーディーでリズミカルな演奏にアレンジされました。

 

上方漫才の”夢路いとし・喜味こいし”の喜味こいしという芸名はこの曲のタイトルに由来しています。


「東京ナイトクラブ」

東京ナイトクラブ

1959年7月発売の松尾和子のデュエット曲です。

作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正

 

都会の夜の雰囲気が漂うムード歌謡で、円熟味を増した2人の歌声と、ベテランらしいテンポのよい「かけ合い」は、多くの視聴者を魅了してデュエットソングの定番曲となります。

 

この曲の特徴は、一行ずつ交互に歌う「かけ合い方式」で、デュエットソングの先駆けになります。